2023年12月1日に、「建設業から循環型社会を目指す」ことをテーマとしたイベントシリーズ GOOD CYCLE BUILDING TALKvol.3『環境にも人にも良い循環を生む、オフィス空間のつくり方』を開催しました。今回は、大阪公立大学健康科学イノベーションセンターと淺沼組技術研究所の共同研究による、淺沼組名古屋支店における自然素材を活用した空間が人にもたらす効果の医学的検証結果を示しながら、健康増進・抗疲労に良い影響を与える空間づくりの価値を考えるイベントとなりました。
第1部の登壇者には、大阪公立大学健康科学イノベーションセンターより水野敬さん、神戸大学大学院科学技術イノベーション研究科より片岡洋祐さん、淺沼組からは名古屋支店建築部兼設計部 坂野秀之と淺沼組本社技術研究所 今井琢海がそれぞれの研究と実践を紹介。第2部では1部登壇者に加え、淺沼組コーポレート・コミュニケーション部 浅沼真里香、淺沼組本社技術研究所 松井亮夫を交えて、環境に配慮しながら働く人のウェルビーイングを実現するオフィスづくりについてディスカッションしました。
今回のレポートでは、第1部のプレゼンテーションの様子をお伝えします。
<イベント詳細ページ>
環境にも人にも良い循環を生む、オフィス空間のつくり方GOOD CYCLE BUILDING TALK vol.3を開催
疲労の研究から、健康経営を考える
まずは、淺沼組技術研究所と共同研究を行う大阪公立大学健康イノベーションセンター副所長であり、日本疲労学会理事や日本リカバリー協会副会長の水野敬さんによる、「抗疲労・健康科学イノベーションの取組み」をご紹介いただきました。
水野さんは、小児から成人、高齢者と多世代に亘る健康増進・抗疲労ソリューション科学研究を推進しています。ソリューション科学とは、「疲労・脳科学の研究からメカニズムを調べ、評価するだけでなく、それを是正・改善する手立て(解決策)を調べていくこと」と言います。
水野さんが副会長を務める(一社)日本リカバリー協会では、毎年10万人から14万人の疲労実態調査を実施。日本の疲労状況は、コロナ禍以降に慢性的に疲労を感じる人が増加しており、活動が再開した現在も「疲れている人」が全体の約8割を占め、疲労傾向は高い水準のまま変わらないとのこと。特に20代〜40代の働き盛りの層に疲れが顕著に見られるため、オフィスなどの環境空間が健康増進・抗疲労に良い効果を与えることができれば、生産性の向上や企業経営における成果につながります。(一社)日本リカバリー協会より
疲労について、水野さんは「個人がその日頑張った結果であるために、疲労を感じること自体は悪いことではないのだが、慢性化させない・疲れをためないことが重要」と言います。
近年、健康問題に起因したパフォーマンスの損失を表す指標として、「プレゼンティーズム」と「アブセンティーズム」という言葉で表されるようになりました。プレゼンティーズムとは、欠勤には至らないが、健康問題が理由で生産性が低下している状態、アブセンティーズムは病欠、病気休業している状態を言い、健康経営の観点からも非常に注目されています。
健康関連コストを考えるとき、医療費のみならず、労働生産性の低下や、長期の休職等も含めた総額で捉えられるようになってきました。健康関連のコストはどのくらいかかっているかについて、2017年厚生労働省が出した「コラボヘルスガイドライン」では、米国金融関連企業の事例として、従業員の健康関連コストの全体構造におけるプレゼンティーズムが占める割合は77.9%もあり(医療費は15.7%)、生産性の損失が大きなコストであると示されています。
「健康経営は従業員の健康に直接的な影響を及ぼすだけでなく、労働生産性にもつながり、企業の業績にも波及すると言えます。プレゼンティーズムは健康診断では見つからない未病の状態で、アブセンティーズムになると何らかの病気の症状が見えてくる。そこまでにくる前に、プレゼンティーズムの評価を行い、是正・改善するソリューションを考えていくことが必要。そのソリューションの一つが、環境空間かもしれないということが今回のテーマになります」
自然環境の抗疲労・自律神経への効果を検証、社会実装する
疲労により自律神経機能が低下することが、これまでの研究で分かっています。疲労が蓄積すると、交感神経(緊張の神経活動)と副交感神経(癒しの神経活動)のバランスが崩れ、安静時にも関わらず交感神経が高い状態となり、休もうと思っても休めないような状態が起きてしまいます。そこで、水野さんらの研究グループは、簡易的に指先を装置に差し込む形で「自律神経機能測定」を行い、疲労度を見える化する「疲労ストレス測定システム」を、村田製作所や疲労科学研究所と共同で開発。企業や商業施設内での測定や検証を進め、健康増進の啓蒙活動や、データを集積して健康科学の研究成果を上げることに取り組んでいます
では、疲労やストレスをためないようにするには、どのようなことが効果的なのか。
疲労やストレスを軽減するためには、自然の植物が有効であるとのことがこれまでの研究によって示されています。植物の葉に含まれる成分には抗ストレス効果があり、これが脳の血流を増やし、セロトニン神経系を活性化するとのこと。また、葉の香りを嗅ぐことが作業中の疲労感や認知的なパフォーマンスの低下を抑制し、自律神経系への影響もあることが分かっています。
水野さんはそういった自然のもたらす作用について実際の効果を測るため、森林内歩行(地形療法)の疲労改善効果の研究を進め、兵庫県の森林で週1回5週間のウォーキングプログラムを実施。気分の落ち込みや抑うつ、疲労が改善されるという結果や、疲労の改善には自律神経機能が相関しているということが分かりました。また、淺沼組名古屋支店では自然環境を取り入れたオフィスでの効果を調査。淺沼組技術研究所と共同で自律神経機能や認知機能を測定し、健康増進・抗疲労に資するオフィス空間の効果を長期的に検証しています。
「オフィスや住環境もトレンドが変化し続ける中で、ウェルネス空間の価値は高まっています。企業との連携や研究を通して数値的に実証されたことを元に、今後は、大人だけでなく子どもたちのウェルネス問題を解決するコミュニティ・デザインにも積極的に取り入れていきたい」と、地域連携と産学官共同で地域社会課題解決の取り組みを進めていくことの意欲を述べられました。
「こころ」の数値化で、気分の変化を科学する
続いて、神戸大学大学院科学技術イノベーション研究科・特命教授で日本医師会産業医である片岡洋祐さんより、「気分測定ツール“KOKOROスケール”」を使って、人の心の変化を数値化する取組みについてご紹介いただきました。
「最近では、『どの国に住めば幸福度が上がるか』や『どのような住宅に住めば家族が仲良くなれるか』などがデータとして数字で示せるようになり、それをもとにした場づくりやサービス、商品企画などが進められています。では、心を数値化するのに、何を測ればわかるのでしょうか。一般的には、心理学調査表やアンケートなどで、使用感をモニターすることが多いのですが、人の気分や心地は1日のなかでも変化し、感情も気分や環境に左右されるもの。従来のアンケートでも一時点だけの心の状態であれば捉えられるものの、その変化を数分ごと、数時間ごとに調査して、『心の動き』として捉えることは困難です」
そこで、片岡さんは、2015年、理化学研究所在籍時代に同研究所のベンチャー制度を活用して(株)Kokoroticsを設立し、理化学研究所で開発した気分測定システム「KOKOROスケール」を運用。このシステムは、わずか2〜3秒で心理データをタッチパネルに入力でき、調査の負担が少なく、数分から数時間ごとの調査が容易になり、微妙な心の動きまで数値化できるようになりました。
「KOKOROスケールは、気分尺度を縦横の2軸に分け、4つの領域で人の心の動きを捉えることができます。横軸の座標は、安堵や安心感、くつろぎを示し、マイナス方向に行くと心配や不安、恐怖に向かいます。縦軸は、喜びや高揚感、歓喜が上方向にあり、逆方向にはいらいらや怒り、激怒へと進みます。快楽や快感には、大きく2つの神経伝達物質が関与していて、安心感では「セロトニン」、高揚感では「ドーパミン」が深く関与しており、この脳科学に基づいた軸を指標に、自分の心の位置を直感的に入力することができるシステムです」
続いて、KOKOROスケールを使った研究や使用例が紹介されました。
「45歳から55歳の東京在住主婦を対象に行った調査では、一定のパターンが観察されました。朝起きた直後は少し不安があり、昼間には不安が和らぎ、少しワクワク感(期待感)が高まります。しかし、夕方には一旦ワクワク感は低下し、就寝時には期待感や安心感が高まる傾向が見られました。夕方の気分の落ち込みに関して、多くの女性が『夕食のメニューを考えなければならない』と述べ、日本人女性の多くが家族の夕食の準備にストレスを感じていることがわかりました。また、2週間にわたり3回の調査を行った結果、全ての回で同様のパターンが観察されました」
「また、30〜40代の働く方々のデータを収集すると、やはり朝起きた直後は不安が高い傾向にありましたが、土日の朝にはそうした不安が見られませんでした。さらに、月曜と火曜の朝には気分がかなり落ち込むという結果に。これは『サザエさん症候群』として知られるもので、休日が終わる頃に憂鬱さを感じ始め、週末が近づくと憂鬱さが軽減するといった多くの日本人の傾向に一致します。また、このような波が1週間ごとに同様に現れることから、人の気分には1日や1週間の中で周期性があることが示されました」
さらに、片岡さんはKOKOROスケールを活用して、環境音源の抗疲労効果の評価やオフィス・住空間の快適性評価など、企業との共同研究・社会実装を進めているとのこと。
「あらゆることがデジタルでつながる社会になり、様々な生活シーンにおいて自分の心を測ることができれば、『どのような時に自分が幸福か』ということを発見でき、自分に適した幸せになるための行動変容や感情変容を起こすことができます。心の見える化で、よりウェルビーイングな暮らしに役立てていけるように研究を続けていきたいと思っています」
快適性とエネルギー性能の両立を実現する
続いては淺沼組建築部兼設計部課長の坂野秀之より、名古屋支店改修プロジェクトにおける取組みとして、快適性と環境・エネルギー性能の両立をどのように実現したかを紹介しました。
「名古屋支店の改修では、快適性と環境・エネルギー性能の両立を目指しました。快適性は数値化や比較が難しいとされ、その基準として米国の「WELL認証」を採用し、エネルギー性能については「BELS(建築物省エネルギー性能表示制度)」を活用して「ZEB認証」を取得し、建物の価値を示すことに取り組みました」
そこで、坂野より、ZEB・BELSの違いと、WELL認証とはどういうものかの説明がありました。
- ZEB Net Zero Energy Building(ネット・ゼロ・エネルギー・ビル)の略。建物のエネルギー消費量を減らしたことを数値化して評価する。評価する仕組みが、BELS認証で、その評価の結果が「ZEB」「Nearly ZEB」「ZEB Ready」「ZEB Oriented」に分けられる。
- BELS Building-Housing Energy-efficiency Labeling Systemの略。建築物省エネ法第7条に基づき建築物の省エネ性能を表示する第三者認証制度の一つ。一次エネルギー消費量をもとに5段階の星マークで表示する。
- WELL 米国のDelos社が2014年に開発した建築物の空間評価システム。効率的なスペースの使い方、生産性を向上させる仕組みといった人間工学的な側面の評価だけではなく、その空間で過ごす人間のウェルネスを重視している。
ZEBとWELLの両方を実現するためには、「快適性と省エネのバランスを取ることが必要」と、坂野は言います。「よくある例としては、真夏の暑い日に、省エネのために空調の温度設定を上げておくと、快適ではなくなる。消費電力の中で「空調」の占める割合が最も高いと言われていますが、WELLは快適性を保つために外気を積極的に取り込むのが良いが、それだと消費電力が高くなる傾向にある。その両方のバランスを取るところが苦労したところでした」
続いて、WELL認証取得において、ZEBとのバランスを考慮しつつ、「空気」「光」「熱的環境」「音」の設備的項目で実践したポイントをあげました。
- 空気 室内空気環境を良くするために換気風量を上げると、WELL認証の加点としてはポイントが上がるが、消費電力が上がり、エネルギー性能は低いという判断になる。どの程度換気風量を上げて、エネルギー性能を確保するかということで苦労した。
- 光 全体の照明度を下げながら、それぞれの場所での作業を照らすタスク照明を活用するという「タスクアンビエント照明」や昼光制御が一般的となり、快適性とエネルギー性能は両立しやすくなっている。
- 熱的環境 各フロアごとに冷房と暖房を使用した環境シミュレーションを実施。快適な環境を維持するための空調と換気のバランスを測定し、湿度に関してはデシカント換気を取り入れた。
- 音 天井カセット型エアコンは消費電力は低いが騒音が大きく、一方、天井隠蔽型は騒音を抑えられるが消費電力が高くなる。会議室には騒音を抑えるために隠蔽型を、執務室には消費電力が低いカセット型を採用し、WELL認証の加点を確保した。
坂野は名古屋支店の取り組みを振り返り、「快適性とエネルギー性能は密接に関係しており、その両方をバランスよく実現するために、技術の革新と共に今後も挑戦していきたいと考えています」とまとめました。
自然素材を活用した空間の、抗疲労・健康増進効果を検証する
最後のプレゼンテーションでは、淺沼組技術研究所の今井琢海が、大阪公立大学との共同研究で行った名古屋支店の健康調査の結果を紹介。自然素材や植栽をふんだんに活用したオフィス空間における抗疲労や健康増進の効果について、調査手法とその効果をプレゼンしました。
「植物には人間の認知機能や自律神経に働きかけ、疲労緩和効果があることがこれまでの研究で分かってきています。では、一般的な内装材を用いた従来のオフィス環境と比べて、内装材そのものに自然素材を多用した空間が人の健康にどのような効果や影響を与えるのでしょうか。淺沼組名古屋支店で働く勤務者50名と、九州支店で働く40名の勤務者を対象に自律神経機能検査や認知機能検査を行い、抗疲労効果の比較を示すことを考えました」
調査から出た結果は、以下のような特徴が見られました。
- 自律神経機能検査 一般オフィスに比べて自然素材オフィスでは、引越し前の1回目から5回目までの1年間で、交感神経活動指数が有意に低下。(慢性疲労状態が抑えられている)
- 認知機能検査 自然素材オフィスにおける総回答数の有意な増加。(集中がより高い状態にあると言える)
「自然素材を使用したオフィス環境では、安静時における交感神経過活動の抑制と、連続的な課題負荷時に成績が向上する傾向が認められ、勤務者の自律神経機能と認知機能の向上につながることが明らかになりました。認知機能の向上は、生産性にもつながると言われています。今後も、長期的な研究を進め、オフィスや住環境における抗疲労・健康増進環境空間をつくり出すことの知見の一つにしたいと考えています。さらに、今後の研究展開として、片岡先生のご紹介にもあった『KOKOROスケール』を使って、どの時間にどの空間に滞在すれば、ポジティブな気分になるのかなどを調べ、より快適な空間をつくり出すための施策を推進していきます」
続いて、第2部のトークセッションの様子はイベントレポートvol.2に続きます。
健康と空間のあり方を科学する 『環境にも人にも良い循環を生む、オフィス空間のつくり方』イベントレポートvol.2
Photos_Matsuchiyo
Edit&text_Michiko Sato
Speaker
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大阪公立大学健康科学イノベーションセンター・特任教授/センター副所長。博士(医学)。
神戸大学大学院科学技術イノベーション研究科・特命教授。理化学研究所生命機能科学研究センター・客員主管研究員。(一社)日本疲労学会・理事。(一社)日本リカバリー協会・副会長水野 敬
大阪公立大学健康科学イノベーションセンターにて「子どもウェルネス創出事業化コンソーシアム」を主宰。小児から成人、高齢者と多世代に亘る健康増進・抗疲労ソリューション科学研究を推進。2018年に書籍「疲労と回復の科学」(日刊工業新聞社)を刊行。
現在、株式会社淺沼組と大阪公立大学健康科学イノベーションセンターにて「健康増進・抗疲労環境空間に関する共同研究」を推進中。 -
神戸大学大学院科学技術イノベーション研究科・特命教授。医学博士。日本医師会認定産業医
片岡 洋祐
京都大学大学院医学研究科博士課程修了後、大阪バイオサイエンス研究所・研究員、
関西医科大学医学部・講師、大阪市立大学大学院医学研究科・講師、理化学研究所・
チームリーダーおよびユニットリーダーを経て、現職。日本疲労学会および日本レーザ
ー治療学会・理事。2015年に「こころ」を科学する理研ベンチャー・(株)Kokoroticsを
設立し、代表取締役(~2020年)。医学・生命科学研究に携わり、特に脳科学、神経科学
、疲労科学が専門。近年、光や電磁波、プラズマが身体や細胞に与える影響を研究。脳と
身体の組織再生と若返り研究に取り組む。 -
淺沼組名古屋支店建築部兼設計部課長(設備担当)
坂野 秀之
大阪工業大学電気工学科卒業後、淺沼組入社。淺沼組名古屋支店改修では設備設計として基本計画段階から参画。WELL認証、ZEB取得に携わる。
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株式会社淺沼組本社技術研究所主任。大阪公立大学健康科学イノベーションセンター特別研究員
今井 琢海
2021年より自然素材利活用オフィスビルの抗疲労、健康増進効果について、大阪公立大学健康科学イノベーションセンターと共同研究を開始。2023年に原著論文「自然素材を活用したオフィス空間 における抗疲労・健康増進効果の検証」を執筆。